1952年東京に生まれ、富山県で中学3年まで祖父母に育てられた。
複雑な家庭環境の中、絵と音楽が心の拠り所になっていた。
大学に進学し、ロックバンド「Dr.KEI&摩天楼」「だててんりゅう」などを結成。ボーカル、ギターを担当した。
卒業後、オフィストゥワンの傘下であるユニオン出版に入社。当時飛ぶ鳥を落とす勢いの阿久悠、三木たかし、井上大輔らに師事。
絶頂期のピンクレディーや沢田研二などの音楽制作を垣間見てきた。
その後独立し、長戸大幸、織田哲郎とともに音楽制作会社ビーイングを創業し、副社長に就任。BOØWY、LOUDNESSなどの制作に関わり、アートディレクションも行う。
1984年パブリックイメージ社創立。LINDBERG、ZIGGY、田村直美など名だたるアーティストを育て上げ、一部のアーティストのアートディレクションも担当した。
一世を風靡したプロデューサーとして、その名を音楽業界だけではなく広く一般にも残した。
2018年ごろから耳の不調が顕著になり、音楽活動を制限。その頃から本格的にアート活動に取り組み、2020年2月、初の個展を開催し盛況を収めた。